人生前半の振り返り

38歳の私がこれまでの人生を振り返り、次へ活かすことを自分の視点から書いてみました。

ハサミムシ

 

 住んでいたマンションの裏は林で、虫がたくさんくるところだった。

やぶ蚊やセミ、カブトムシ。ゴキブリ、ゲジゲジも。

 ソファの下に、ハサミムシが何匹か出た。

お尻にクワガタ虫みたいな釜を持った虫で、毒を持っているから刺されると大変なことになる。私たちはそういう怖い虫ということを知らない。

 でもママは私と姉を怖がらせて騒がせてはいけないと、「ソファにしばらく座ってじっとしているのよ~」と仮面の笑顔で言う。

 とっても長い菜箸でママが黒いものをつかんでビニール袋に入れていくのを私達姉妹はじっと見つめる。

 ママって器用で強くてすごいんだなーと姉と感動していた私。

ママは人生最大の危機に直面していたのに。手伝えなくてごめん。

作文

 

小学一年生のときに作文を書いた。タイトルは定番の「私のおかあさん」だ。

 

1年生といったら、まだ日本語をならいたての外国人みたいなものだ。とにかくそのとき思い出せるワードを使って文を作ることしかできないと思っている。

生物として誕生してからまだ7年も経ってない生命体なわけだし、発せられる言葉に深い意味はほぼない。宇宙人のようなものだ。

 

「私のおかあさんはいつも口うるさくあれをしなさい、早くしなさい、と言う。私も言い返したいくらい

。でもお母さんが笑っているときは口びるが光っている。私も嬉しく思う。」という内容だったと思う。

これが新聞に小さく載った。口びるが光っている、という描写がすばらしいとか何とか。

 本当は、ママの顔下半分に光が反射していただけだったのに。「ママのおでこは波になっている」とか「目から水が出ている」などと書いていたかもしれないのに。

 自分の言葉が思っていた感じとは違った位置に付けられること思い知った。多くの人間が捉える捉え方で世間は認識するということも知る。

 その後、国語という教科に対して不信感を持つようになってしまった。

回答を見ながら、作者の気持ちは本当にそうだったのだろうか、そんなに簡単に心情を決めて答えにしていいのだろうか。

 

疑い深い私の性格が顔を出し始める。

幼稚園中退

 

 私は小学校に上がる前に引越しをした。引越し先は800世帯くらいの大型の新築マンションだった。

 それまで通っていた幼稚園を卒園式の3か月前に退園して引越し先に移った。

 

新しいマンションに引越した後、小学校が始まるまでの間の3か月間だけ新しい幼稚園に通うかどうしようか迷った。11月に入園してまた3月に卒園する。

 新築マンションに越してきた私と同じ年の子の親の中には、小学校にあがったときに一緒のクラスになる子たちだからという理由で、わざわざ3か月少しの間だけでも入園させて仲良くさせようとする人もいた。

 ママもその話を聞いて同じ事を一瞬は考えたと思う。だけど、いきなり小学校へ行っても私なら大丈夫だろうと思ってくれたみたいだった。

ママはなるべく面倒なことはしない主義。決断も早い。後で聞くと一瞬の迷いもく決めたようだ。

私はその3か月間は、幼稚園は行かずにママと過ごした。

ほとんど毎日、できたばかりの川崎駅の地下街でショッピングの日々だった。

たくさんお店があって、たくさん人が歩いていて、広くて明るい、楽しそうな音楽も聞こえてくる。

毎日、ママに手を引かれて歩くショッピングモール。幼稚園より100倍楽しく、毎日ワクワクして過ごしていた。幼稚園中退だったけど、ママと過ごした幸せで貴重な時間だった。

人生はじめの記憶

私は小さいころ、おねえちゃんの背中によくかみついていた。

 

ママが「だめよそんなことしちゃ」としかると、私は答える。

 

「わかった。虫歯になるもんね。」

 

ママは私が虫歯になることを心配してくれていると思っている私。

 

どこまでも自己中心的で勘違いな私の性格は3歳から始まっている。