塾の友達
中学受験の勉強は大変だった。勉強も大変だったけれど、塾の友人関係がこの上なく悪くて大変だった。
いま思い返しえてみてこれまでで最悪の友人関係だったと言える。私は公立の小学校でトップの成績だったけれど、塾のクラスの中ではできない方だった。それは、私立の小学校の子たちがいたからだ。
私立の小学校は塾よりも一足早く授業で勉強している。学校の授業で学んだことを後で塾で復習していることが多いのだ。
だから、塾での勉強やテストは2度目になり、再度勉強することになる。
そういう子たちは公立の子よりもたいがい成績が良い。私がいくら早めに予習して取り組んでも、すでに彼らは学習済みなので、いつも彼らよりも3か月遅く取り組んでいるような感覚になる。塾のテスト勉強に充てられる時間もより多くなるので、テストの点が高いのはいつも彼らだった。頭がいいからとかそういう問題ではないと子供ながらに気づく私。仕方ない現実だけど、やはりテストの点で示されてしまうので劣等感があった。理不尽に劣等感を抱えさせられたまま紋々と勉強する日々だった。
塾の友人2人とは気が合ったからという理由ではなく、私のママと友人二人の親の仲が良かったからだ。子供同士はどう考えても気が合わなかった。ひどいことをよく言ってきたし、心がひねくれているなと思うことが多々あった。よく付き合っていたと思う。
でも塾で一緒にお弁当を食べたり、帰り一緒に帰ったりする友人というのは必要なので仕方なく一緒にいた。私はママが親同士で楽しそうに話をするのを見て、その友人の悪口を言えなかった。
でも結局、その友人2人は6年生の夏になって、中学受験をやめることになったのだ。二人ともとても成績が良かったが、なぜか誰でも入れるような中学へそれぞれ入学することに決めたと言う。親と相談して中学受験をやめることを決めたと言っていたけれど、何か特別な理由があるような気がしてならなかった。
どうしてなのか、受験ってなんか裏ですごく良くないことがあるのではないか。私は急に不安になった。頑張って勉強して難関中学校に入学することがベストの道だと教えられてきたのに、成績の良い二人の選んだ道を知って、中学受験が小さく見えてきた。たくさんある選択肢の一つでしかないのではないか。その後も、なんとなく勉強に気合いが入らずに滑り止めの中学に入学することになってしまう。いま思うとあの二人に多かれ少なかれ影響されてなんだか足を引っ張られた気分だ。
どうしてあのときラストスパートできなかったのか後悔している。なんか二人にエネルギーをすい取られたような、そんな気になってくる。なぜか頑張れない停滞時期だったのだ、と思うようにしているけれど、今でもやっぱり悔しい。
怪我するひと
6年生のときに長縄が流行った。
私はそのとき中学受験勉強中で、遊びでも何でも競争にしてしまっていた。
クラス10人くらいで長縄を一人一回ずつ飛んでつないでゆく。
何回続けてできたか、その記録を更新することに命をかけていた。
記録更新しそうになったときに友人が縄にひっかかったら、私の怒りはマックスになって友人を攻撃してしまった。
そして先生から叱られた。「みんながXXさん(私)のようにできるわけじゃないから、その辺を分かりなさい。」と。
ちょうどそのとき人生で初めて足をねん挫するという事態になる、その後しばらく長縄ができなくなった。考え方が間違っているよ、人の気持ちを分かれ、と神様がきっかけをくれたのだと思った。
その後、ケガをした人を見ると何か反省している最中なのかなと思う。
学びのケガだね。
ぶたれる私
小学校低学年のときに、よく男子にぶたれた。話したこともない男子からもぶたれるから訳が分からなかった。たぶん私が何かと目立ったからだったと思う。私は勉強も運動もよくできた。そんな私が生意気でムカつくやつと映っていに違いない。
他の女の子と同じことをしても男子に過剰に攻撃されたこともよくあった。私の気を引くためしているのよ、と言う大人もいたが、どの子もすごい勢いでぶってくるので全然区別がつかなかった。
痛いからとにかくいやだな~と思いながら過ごしていた。先生に言ってもあまり気にされなかったからさらにショックだった。あなたはぶたれて当然でしょと言われているみたいでいやだった。
女子には人気があった。遊んでくれる友達がいつもいたし、一人になったことがなかった。社会に出て会社に入って似た経験をする私。
男子を逆上させるようなものを持っているらしい。その正体は何なのか、大人になってようやく理解する。男子は自分を脅かすような存在を攻撃する生き物だということに気づく。これは工夫して生きていかなければいけないと悟る。小学生からそういうことを分かっていたら、もう少し気を配れたかもしれないのにと思った。
私の思い上がり
私は小学生のとき勉強ができた。小学校3年生から塾に通っていたからだ。学校のみんなよりも1年早い勉強をしていた。
通知表は全て一番上のオール優だった。塾で習わない体育や音楽も全てみんなよりもできたので、私ってもしかしてすごいのかもと思ったりもしていた。
4年生の全国小学生の模試で11番をとった。塾が開催しているテストで1万人以上受験する。いま思うとこれがよくなかった。
「勉強少し頑張ればどこの難関中学にも入学できるんじゃないか」という思いが沸き上がり、勉強をがんばらなくなった。
5年生のときに中だるみがきて、もう勉強いいから早く受験させてほしいという気になった。まだあと1年もあるのか、長いなあ。という感じでガッツが沸かない。周りの子供たちはあと1年少ししかないと思って必死に成績を追い上げてくる。それでも私にはもう気力が残っていなかった。どんどん成績が落ちる、やる気がますますなくなる、の悪循環。そんなときも、いつでもやる気を出せば全国上位に入れるのだとすら思っていたのだから恐ろしい。
それでもう、勉強は人生で頑張れるときに頑張ればいいや、という結論になってしまった。最後はラストスパートで頑張ったものの、中学受験は第1志望校に合格できずに終わる。
いま思うと私って気が緩みやすいダメな人間ということを知る。今なら自分の事をもう少し分かっているから、スタートする時期も遅らせて自分を追い込んで勉強できたのにと思う。
園児たち
園庭で遊ぶのも好きだけど、涼しい木陰で怖い話をすることも大好きだった。
3人くらいで輪になって話して、誰の話が一番怖いかをきそっていた。
トイレの花子さんが流行っているときだったこともあって、色々な話が流行っていた。
みんな、自分の知っている怖い話をさも怖そうに話した。怖くなって動かなくなっていると先生が来て、「ほら、みんな日なたで遊びなさい」と私たちの体を動かそうと促してくる。
怖いオーラに浸りきった私達は体があまり動かない。しかたなく日なたにフラフラと出たものの間違った場所に来た人のようなウロウロフワフワした動きになる。
幽霊みたいな園児たちを心配する先生。大好きな先生を安心させようと、形だけでもモヨモヨと動く私達。
先生、そんなに心配しないで。自由時間なのだから好きにさせてほしいわ。こういうところで同調圧力が刷り込まれていくのだね。
私たち3人はその後も圧力にひるまず怖い立ち話の会をし続けた。